残された人生を後悔しない様、充実させたい。

私達の食を支えてくれる農業。

いつの時代も豊作であるということが、農業者にとっては一番の喜びであり、難しさでもあっただろう。

しかし、その難しさが変わってきていると、農場のボス・記虎悟は言う。

「昔は質より量だった。例えば、米は少々まずくても収穫量が多いことの方が優先されてきた。

ならば、肥料をいっぱいやって、実りの秋には穂が下がり、倒れて味が落ちてしまうような作り方。

それもアリだった。だが、今は米の成分を計ることで食味が分かる。

ファームキトラは量より、質を求めています。

量ではなく、質を上げることで利益率のアップも図っています。

お客様の声に耳を傾けず、顔も見ないで作物を作って売るという流れは、楽をして儲かる農業と言えるだろう。

例えば、田んぼに直接、早生品種の種をまいて、水を引き、従来のような田植えをしない『直播』というのがある。

手間がかからず収穫できるが、今一番人気の「ゆめぴりか」は早生が求められる直播の品種として向いていない。

たとえ手間暇がかかったとしても、お客様が美味しいと笑顔で食べてもらえるような米を作ることこそが、農業者としての使命だと考えています」。

近隣の農家さんに先駆けていろんなことにトライしているボスに質問をぶつけてみた。

自分はこの道(農業)のにおける成功者だと思いますか? と。

「確かに沢山売れてはいるが、支出も多い。

考えてみると、人件費が掛かることばかりやっているのかもしれない。

作物ごとに採算分析をして、ダメなものはキッパリ止めて、伸びているものを増やすという方向転換も必要なのかもしれません。

ずっと続けていく、これは昔からのやり方かもしれない。

この時代、常に新しいことに活路を見出していかなければ、急に売れなくなってしまう場合もある」。

だから常にアンテナをピッピッと張り巡らし、新しい情報にも敏感であることが大事だ。

「周りの農家と考え方や方向性が違っているから、時としてちょっと孤独を感じることもあります」と、ボス。

昔ながらの農業をそのままの形で続けている人も多く、新しいことへのチャレンジが面倒、リスクがあると考える人もいれば、後継者がいないからと言う人もいるのが現実だ。

1942年(昭和17年)に、日本の主食である米や麦などの食糧の価格や供給などを、日本政府が管理する「食料管理制度」が制定され、

時代と共に改定を加えられながら、ついに1995年(平成7年)に廃止された。

その頃、お米の産直(米を作って、お客さんに届ける)をやりませんか? という広告を目にした。

ある団体が取りまとめ、その団体に米を届けるというものだった。

ならば、自分達でやってみようと、農家3軒で「トイカル」という生産者グループを立ち上げた。当時としては、先駆け的なことだった。

ボスは中古のパソコンを購入、農場の経営に結びつけそうだと、まだエクセルもないような時代ではあったが、

パソコンやネットに精通していた強みが大いに役立った。1995年頃には農家でのネット販売をスタートさせた。

1998年頃から健康志向に特化した無農薬・アイガモ米にも手を伸ばした。

春にはまだ小さなアイガモのヒナが農場にやって来る。

当初は寒くないように加温しながらエサをやる。狐からも守ってやらねばならない。

そして、いざ田んぼへ出動 !! の日を迎える。

害虫や雑草を食べながら、彼らは実に良い仕事をしてくれる。

いつしかピヨピヨからガァーガァーに鳴き声が変わっていく。

手間ひまかけてアイガモも、稲も生長し、無農薬米の収穫の日を迎える。

これらの米はインターネットで販路を拡大し、今では農場の一番人気商品となっている。

世の中、アレルギーを持つ人が増えている。

皆さんは「ゆきひかり」というお米の銘柄をご存じだろうか?

もちもちした触感が求められているが、もち米の遺伝子が入っていない「無農薬・ゆきひかり」は米のアレルギーを持つ人、アトピーの人が食べられる品種である。

あまり美味しくないという理由から、栽培を止めてしまった農家も多い。

だが、ファームキトラはアトピーなどの人達にも安心してご飯を食べてもらいたい、支えたいという思いから、食べることができる米を作り続けている。

ボスの優しさを感じる一面である。

「消費者が自ら望む安全で美味しい農作物を、お気に入りの生産者(農家)から直接購入する。

プラス『キトラさんの野菜を食べたい』と思ってもらえるような農家になりたいと思っています」。

アイガモ米、機械除草米など、作るのに手間がかかって高価な米から売れていく。

本当に必要なお客様に年間を通じ、安心して途切れることなく食べてもらえるように、米の年間予約も始めた。

野菜部門では「流行り野菜」を見極める先見の目を生かし、他の人が作っていない野菜を先駆けて作っていた。

「偶然なのか、運命なのか、いろんなことが上手く流れたように思う。

自分でやろうと思ったことが、それなりに成果を上げることができて満足しています」。

人から見ると、こだわりすぎると言われるかもしれないが、後に後継者がマンネリにならず、面倒くさがらず細かいところを几帳面に見ながら完成度を上げることができたら

…と思っています。

農家はもともと家族経営だから、ちゃんとした経営ができるか、果たして後継者が農業好きか、子供が男の子か、結婚しても子供が生まれなければ、生まれたとしても果たして農業に興味をもった子供か…等々、高いハードルはいくつもある。

だから、会社組織の方が持続可能なのかもしれないと考えるようにもなった。

高いハードルはいくつもあるが、子供に「農家は良いぞ」と胸を張って言える農家にならなければと、自分を鼓舞している」。

「私は冒険家だと思う」。

イチゴ栽培、直売所をオープン、インターネットでの販売、JGAP、ボラバイトさんの採用など、いろんなことに興味をもって、

良いと思ったら直ぐに取り入れてしまうタイプである。

普段から、あっ、コレ!! と思うと突き進んでしまうし、もっといい方法はないものか…と考えながら生活しており、これは血統。遺伝子のなせる業なのかもしれない。

祖父は風で殻を飛ばす「唐箕(とうみ)」という機械を作った。

自作の農機を持ち込み、他の農家の手伝いをする仕事もしていた。

昔、他所の農家さんの納屋で「長沼村 記虎一次郎 作」と印されている農機唐箕を見つけて驚いた」。 

ボスの父親もまた、廃品利用で機械を作り、体が弱く農作業できない母親は養鶏所を始めるなど、なかなかのチャレンジャーでもあった。

主力の米、玉ねぎ、麦に加え、売店、野菜、接客など、細かい部分で自分の右腕となる存在がいなかったら、今はなかったかもしれない。

自分の足りない部分を補い合って、一つの経営体になった。

ボラバイトさんの対応、接客も上手にこなし、楽しい農場の雰囲気作りの源になってくれている妻の存在は大きい。

自分一人では成しえなかったと思う。

近年ではスリランカ、オーストラリア、香港、台湾など諸外国からのボラバイトさんも来てくれて、農家とは言え、井の中の蛙ではいられないと実感させられた。

こうして、いろんな地方、国から人が来てくれて、そこから得る知識も多い。

長沼六区の歴史資料より
長沼六区の歴史資料より

ボスは人見知りのタイプと自分を分析する。

面白おかしく話をするのも苦手だし、人と上手くやれる自信はない。

もし、サラリーマンになっていたとしたら仕事を上手くこなしていたか、どうかは怪しい気がする。

どちらにしても、そんなに長くは生きられないだろうが、悪くない職業に就いて、悪くない人と出会い、その中で人生を重ねてきた自分の生き方に後悔はない。

「残された人生を後悔しない様、充実させたい」

とボスは言う。

時間があったら電子工作などやって、自作の自分が望む機械を作って、先を行くようなスマート農業を実現させたい。

半分、趣味と言われるかもしれないけどね…。

そして農業法人、会社として成功を収めたい」というのがボスの夢。

これからは社会貢献もしていきたいと思っている。

皆さんに支えられ、ここまでやってきた。これからは恩返しをする時だと思う。

「また突飛押しのないことばかり言って、社長の妄想が始まった」と、周りから言われるかもしれないが、いつでも真剣勝負。

だから押し通してしまう。

自分では気づかないが、益々、頑固になっていると、この頃言われることがある。

気を付けなきゃ…と思うが、そうもいかない。と、いうのが正直なところだ。

農場ではそれぞれの仕事に応じた、その道のスペシャリストを増やすことを進めている。

HPをプロに頼んだら、売上も上がった。

ネットでの売上を伸ばそうと思うなら、それなりのスペシャリストが必要になるということだ。

そういう人が周りにいてくれて尚且つ、社員やパートさんとチャットワークというアプリで情報を共有している。

いろんなことが複雑に絡み合ってくると、当然ストレスも大きくなってくる。

一人で歌ってみたら、ストレスもストンと治まった。今ではカラオケが趣味となった。

そしてスマート農業を推し進めることへの興味も大きく、パソコンに向かってプログラミングする時間も楽しんでいる。

もちろん、機械いじりや修理をしている時のはんだごてや廃油の匂い、ペンキ塗りをしている時のシンナーの匂いなど、モノづくりが大好きなボスに至福の時を与えてくれる。

今、昔ながらの伝統農業、手作業の米作りにチャレンジしているグループに田んぼを貸している。

田植え、稲刈り、はさがけまで手作業で行う。

手作業は苦労もあり、辛いこともあるけれど、農作業の醍醐味、楽しみも味わえる。

時々、手伝いに行くことがあるが、心がこもった作業はホッとする。

昔ながらの「稲架(はさ)掛け」で、手間と時間をたっぷり掛けて天日干しした米は確かに良いものができて美味しい。

それと、ノスタルジックな部分もあり、手作業の農業体験は楽しいものだ。

体験することで、得られるものもある。消費者とのふれあいを大切にするというのも、ファームキトラの農業に向き合う姿勢の一つでもある。

他にこういうことをやっている農場は見当たらないから、何かに貢献できていると思う。

こうして書き連ねていくと、成功話ばかりかと思われるかもしれないが、失敗談も数知れず…。

40代で腰を痛めて、農繁期に長期療養。イチゴ栽培の初年度、収穫はほぼゼロ。

虫発生で廃耕にした玉ねぎ畑もある。

雪でハウスをつぶしてしまったり、アイガモがキツネに襲われたり…。

農作業で一つでも手を抜くと、全滅することを味わった。

「だけど私はノーテンキなので、失敗と捉えていない」と笑う。

そのポジティブ思考こそがボス!! なのだ。

朝のミーティングでは熱くなりすぎて、ついつい夫婦喧嘩も勃発してしまう。

良くも悪くも、熱い情熱を抱いて、ボス夫婦そして社員を始めとするスタッフ一同、お客様に美味しい作物をお届けできるよう、頑張っています!!

著者プロフィール

文・佐藤加世子(さとう・かよこ)
福岡県出身。小学校1年生から札幌市に移住。
7年間のOL生活
1983年 結婚。夫とヨーロッパ7ヶ月、7万kmのツーリング旅。
翌年からオンボロ・キャンパーで20年間、写真家の夫と共にヨーロッパを拠点に
モーターサイクル世界選手権を取材。ライターとして雑誌に投稿。
2人の男の子を出産、後半の6年間は子連れ取材に大奮闘。
1999年12月 長沼町に離農した農家の古家に引っ越し。
2005年 6月 エッセイ「まんま、夢追い人」発行。
2013年 3月  おだしの美味香を夫と二人で起業。