ファームキトラとはこんな農場です
代表挨拶
太古より人類を苦しめてきた飢餓・病気・戦争・貧困が今世紀に入ってほぼ克服されたものとの認識がつい先日まで広がっていました。しかしロシアウクライナ戦争による核戦争の危機や新型コロナ・そしてその影響による世界的な飢餓と貧困が再び増えようとしています。
先祖が北海道へ入植した当時は度重なる水害と冷害、それによる食糧不足と貧困があり多くの農民がこの地を去ったと言われています。それから128年後の現在に至るまでに2度の世界大戦があり、農業の近代化によって当時とは大きく様変わりした農業に変貌し、生活は大変楽になりました。
しかし、農業経営者の高齢化や資材の高騰など現代農業は山積する新たな問題を抱えています。これから先100年以上継続していける農業、そして皆に愛され続ける農業にするにはどうしたらよいのか。そのためには農業の必要性について皆さんによく知ってもらい、共に前に進んでいくのが大事だと思います。
平和と豊かな生活のためには豊かな食生活が、すなわち今こそ農業という産業の再生が求められています。全国の皆さんへ命と健康の糧としての農作物をお届けするとともに一緒に幸せな未来を実現してゆくのが弊社の使命だと考えます。
有限会社ファームキトラ
代表取締役社長 記虎 悟
明治27年にファームキトラ誕生
かつて兵庫県淡路島三原郡松帆村のわずかばかりの小作地にて貧乏な百姓をしていた曾祖父 記虎弥蔵が一念発起して海を渡り一家6人で北海道の土を踏んだのは明治27年3月のことでした。 当時は湿地や原始林のこの長沼の地に掘立小屋を建て、開拓開墾し、度重なる水害や冷害と戦ってきました。入植時、3歳だった祖父 一次郎はその跡を継ぎ、無学文盲の父親の望みで学校へ通わせてくれました。 その後就農の傍ら納屋の建築や唐箕、風力製粉機、紡毛機等を作り地域に貢献する器用な人でありました。その息子である私の父 敏雄も戦争でノモンハンで戦った時代もありましたが、復員後は母と共に農業を志 すことになりました。農作業の傍ら木工作、鉄工作に興味を持ち、兄弟と自作のトラクターを作るほどでした(写真)。母も養鶏を始め 大量の鶏糞が有機農業の一助となりました。そして、大学在学中の20歳の時に訳あって急に跡を継ぐことになった私ですが、曾祖父のような苦労も体験せず、祖父や父ほど器用でもなく、傍目には甚だ頼りないものでした。
着実に規模を拡大
跡を継いだ当時は農業の事は右も左も解らず、ただ父親に言われるままに仕事をしていました。当時は水稲 小麦、豆、ビートなどしか作っておらず 暇なときには一緒に小屋を基礎から作ったりしました。その後結婚してからは玉葱など高収益作物に取り組み始め、自ら営農計画を立てるようになりました。後継した時は全部で9haほどだった土地も今では借地を含め45haを作付しています。また、アイガモ米や苺狩 り観光農園、野菜直売所の運営など新たな取り組みも始め、平成17年には法人化し、だんだんと経営者としての立場で営農に取り組むようになってきました。
山あり谷あり
現在に至る道のりは決して順風満帆だったというわけではありません。40代には腰を痛め、何か月も農作業に携われなかった時期もありました。また初めて作った苺は技術不足のため収穫皆無だったり、畑に行ってみたらほとんどの玉葱が害虫で駄目に なっていて廃耕せざるをえなかったり、玉葱の育苗ハウスが雪で潰されたり、愛情を込めて育て上げたアイガモ が一夜にしてキツネに何羽もやられたりと失敗は数え上げたらきりがありません。それでも、1998年ころから始めた特別栽培や無農薬米のお米の販売はインターネットの時勢に乗って今や経営の大黒柱となるまでに成長するに至りました。 3人の息子達も大きくなり揃って大学に通い始めた頃は資金繰りが大変でしたが、ようやくそれぞれ成人し、後継者も一緒に働くようになってやっと余裕をもって仕事に勤しむ事が出来るようになってきました。
今後について
WTOやTPPなど農業分野においてもグローバル化は避けて通れない時代がやってきました。おそらくご先祖が全く予想もしなかった時代です。農業後継者不足は間違いなく大規模化をもたらし、海外との競争力の差は縮む傾向にあります。また、昔はほとんどいなかったアレルギーに悩む人も増え、北海道でも美味しい米の品種が開発されたりと、消費者が自ら望む安全な美味しい農産物を直接農家から購入出来る時代になりました。こういった流通の変化の流れは今後ますます早まるのではないでしょうか。目まぐるしく変わる農業情勢の中、今後どう舵を切っていくか手腕の問われるところでありますが、 先にも書きましたとおり先祖代々築いてきた礎があってこそ今の自分があるわけです。その想いを絶やす事無く、地域や顧客の皆様に末永く愛される農場に成長するにはまだまだ日々苦労を重ね ていく必要があると感じています。 目指す道のりは山あり谷あり。因みに私の座右の銘は「前人未踏の地を目指す」です。 私が後継者に全面的にバトンタッチするのもそう遠くない年齢となりましたが、北海道に入植した当時の フロンティアスピリッツの灯は絶やさないで欲しいと切に願うものです。
ファームキトラの経営理念
- 農業振興を通じて地域の活性化につながる事業を行います。
- 顧客第一主義とし生産者と共に幸せを追求します。
- 安全安心で美味しい農産物をお客様にお届けします。
- 新しい農業価値を創造し、次代を担う人材を育てます。
ファームキトラの歴史年表
和暦 | 西暦 | ファームキトラでの出来事 | 世の中の出来事 |
明治27 | 1894 | 記虎弥蔵が淡路島より海を渡り一家6人で北海道へ移住 | |
昭和35~50 | 1960 | 先代が稲作+養鶏を行っていた | |
平成2 | 1990 | たまねぎ作付試験を始める | |
平成3 | 1991 | たまねぎを始める | |
平成9 | 1997 | アイガモ農法始める | |
通信販売を始める | |||
平成16 | 2004 | 苺の栽培試験を始める | |
平成17 | 2005 | 法人化する 経営面積24ha 水稲11ha 玉葱6ha 小麦1.5ha 苺狩り開始 | 「食料・農業・農村基本計画策定」 豪州大干ばつ 鳥インフルエンザ流行 |
平成18 | 2006 | 従業員雇用 | 「品目横断的経営安定対策」導入 ポジティブ制度施行 |
平成19 | 2007 | 従業員交通事故で入院 観光農園ガーデニング マイスター取得 | 「農地・水・環境保全向上対策」導入 |
平成20 | 2008 | 経営面積27haに増える 水稲 8ha 玉葱6ha 小麦6ha 大豆3ha 野菜1.5ha 研修生雇用 | 「農商工連携促進法」制定 WTO交渉決裂 |
平成21 | 2009 | ベジ狩り開始 研修生雇用 米の害虫増で対策開始 鳥獣害対策に番犬を複数頭導入 共同直売所誘致 米販売グループから会社に移行 | |
平成22 | 2010 | 米の保冷庫設置 玉葱不作の為高騰 加工品(シフォンケーキ)販売開始 | 「食料・農業・農村基本計画策定」「戸別所得補償モデル対策」実施 |
平成23 | 2011 | 農場直営直売所「ベジッコ」オープン 米の全量自販達成 会員制導入(年間予約開始) 玉葱過去最低収量 異常気象で収穫手作業 臨時雇用負担増 | TPP問題 東日本大震災 原発による農産物の放射能汚染深刻化 |
平成24 | 2012 | ||
平成25 | 2013 | マドンナ佐々木入社 ホームページリニューアル(ECサイト化) 米の仕入れ販売増加 | |
平成26 | 2014 | 米価暴落 干ばつ 農地40haに増える 機関紙「農場通信」発行開始 | |
平成27 | 2015 | 玉葱は豊作だったが市況が下落した | |
平成28 | 2016 | 6月・8月の長雨で湿害 | トランプ氏当選、TPP脱退を宣言 |
平成29 | 2017 | 玉葱 湿害で減収秋価格低迷も年末には持ち直す | |
平成30 | 2018 | インスタ西山入社 J-GAP取得 ふるさと納税開始 体験農業開始 | 胆振東部地震でブラックアウトになる |
平成31/令和元 | 2019 | 事務所新築 玉葱年末にかけ価格下落 | |
令和2 | 2020 | 道の駅「ウヌカリナガヌマ」参画 | 新型コロナ流行。外食産業等に打撃。野菜価格低迷 |
令和3 | 2021 | 玉葱・じゃがいも干ばつのため市場価格高騰 | |
令和4 | 2022 | やさいバス開始 加工選果場完成 | ウクライナ戦争の影響で肥料価格高騰 |
令和5 | 2023 | 高濃度トマトブランド「レ・アマン」の商標登録 |