【連載】エピソード2:農業で一番大切な事は、日本の食を担う事

これからの農業を推し進めるに当たり、一番大切なことは何だろう?
農場のボス・記虎悟は日々、考えていた。

その昔、農業従事者は「お百姓さん」と呼ばれていた。

水に恵まれ、夏には高温多湿になる日本の気候風土はに最適だった。

水田にするためには土地を、(農地に外部から水を引くこと)、水の管理、施肥(肥料を与えること)、雑草や虫の駆除、等々。

それは骨の折れる仕事だった。

「百姓」という言葉には、米を収穫するまでに100の仕事を担っているという意味を持っている。

やっと米の収穫が終わって豊作を喜ぶ年もあれば、時として干ばつ、水害、虫害などに襲われてしまう…厳しい世界でもある。

こうして手を掛けて作り、育んだ農地を、代々に渡って受け継ぎ、維持・管理していくのが日本の農業のスタイルだった。


ファームキトラも明治27年、初代が北海道に渡って開拓以来、代々、続いてきた。

しかし4代目となったボスはこれからの農業の第一歩として、2005年(平成17年)

世の中の流れも見据え、ビジネスを進めていく上で信用面の大きさと、法人ならではの補助金制度も活用できる利点を考え、「法人化」に踏み切った。

昔の農家は事業と家計との分けも曖昧でドンブリ勘定だったが、

法人化したことで家計・経費・収入など経理面が明確になり「農場主であり、経営者でもある」という立場に置き換わった。

そして、法人でなければビジネスの相手として認めてもらえないような世の中に変わってきたように思う。

農業は経験がものを言う世界でもある。

昔は夫々の作物ごとに栽培技術を活かし作物を作るだけでよかったが、

今はマーケティング、代金回収、収支をパソコンに入力して採算分析をし、次は何を作るかを考える。

経営的な成功は、農協に出荷するのではなく、販路を見つけ顧客を増やすことだと思っている。

農場の代表はこれらをトータル的にできる人が求められ、仕事の内容ごとのスペシャリストが必要となる。

「100の仕事をこなす百姓 + スマート農法で、今は110姓くらいになっているかもしれないね」と、ボスは笑う。

確かにボスは農業だけでなく、壊れた農業機械も自分である程度は修理もするし、

ちょっとした建物くらいなら建ててしまうような器用な人だ。

ファームキトラは新しい取り組みにチャレンジしてきた。
農協に出荷すれば、作物は全て売れるが、

価格が下がれば収入減になるリスクがある。
そして農協はお客様との直接対応はしていない。

そこで、自分で価格を決め、顧客に販売するという再生可能な農業にシフトしようと考えた。つまり、自分で作った作物の値段を自分で決められる農業を目指したのだ。

農場からの直販となり、生産者の顔が見え、顧客の声も聞こえるようになった。

ここへたどり着くまでには、お客様からクレームをもらい、その度にいろんな努力、工夫を重ねてきた経緯もある。

例えば、カメムシの影響で黒い粒の米が入っていたら、電光選別機を通す。
猛暑の本州でも虫が発生しないように真空パックを導入するなど、企業努力の成果がお客様にも伝わり、大きな信用も得ることができた

インターネットの時代になり、B to C (企業が一般消費者を対象に行うビジネス形態)を目指し、直販に踏み切ったことが時代の波に乗ったのだと言える。

今年、「お米アンバサダー」を10名ほど募集し、インスタなどを利用してファームキトラの米を紹介してもらう新しい試みにもトライしたが、それもなかなか好評だった。


昔から現代までに農業は「どう変わり」、今から将来に向けて「どう変わっていくのか」を考えてみると、大きく変化したようだ。      

農業は農耕馬と手作業に支えられてきた。

手作業は重労働で3K(きつい・汚い・危険)と言われていたが、昭和30年後半から耕耘機、トラクターなど機械化が進んだ。

将来はもっと自動化が進み、知能を持った機械がビニールハウスの水やり、暖房、換気などの環境制御を自動でやってくれるようになる。

これからはコンピューターを駆使した「スマート農業」の時代だ。

昔の農業は健康で力持ちが求められていたが、これからはプラス頭脳も求められる。

何かが起きたら、誰かが助けてくれるような時代は終わった。

これからはリスクを再認識し、スマートに解決していかなくてはならないだろう。

「農業で一番大切な事は、日本の食を担う事にあると思う」。

人口を減らす原因には戦争、病気、冷害などがあげられる。

飢饉という言葉はそんなに身近なものではないが、干ばつ、火山の噴火、害虫、霜害、水不足などの自然的な災害、戦乱などの影響、

あるいは人為的な自然破壊による環境の大きな変化のために、農産物の著しい不作から食料が不足する。

これらの要因が、飢餓状態をもたらす事が飢饉のようだ。

歴史の授業でも習った記憶がある「天保の飢饉」などは、昔の話と思っていたのだが、

昔話…と高をくくってもいられない世の中になってしまった。

「予知しなかったような、あり得ないことが起きる時代になった。まずは食料の確保を考えた時、農業者だけではなく、これからは普通の人も一緒に考える時代になってきたと思う」

と、ボスは言う。

食の最前線に立つ農業者は、人々の空腹を満たすという使命感を背負っている。

私たちは米や野菜、加工食品を購入し、暮らしている。

「なんでも値段が上がって大変だ」

と不平、不満をついつい口にしてしまうが、農業を営む者の苦悩にも耳を傾ける必要があるように思う。

農業を取り巻く環境は大きく変化している。

肥料代が2倍にも跳ね上がり、地球温暖化の影響で大雨、猛暑、大雪と大型災害も増えている。

また、労働不足をどう補うか?  コロナの影響で外食産業が低迷し、農作物の需要が低下。戦争の影響でコンテナが動かず、中国からの米などの輸入量が減った、等々。

数え上げたらキリがないが、目の前の困難を克服していかなければ、我が国の食を守れない。

労働力不足はデイワーク(農業労働力支援)の活用、暑さ対策では農業用ハウスの環境整備など、できうることへの努力を一歩、また一歩と積み重ねている。


「今、農業を見直す時です。ウクライナの戦争、コロナを経験して自国の食料を守ることの重要性を感じた。金さえあれば、どこからでも買えるという時代は終わった。

人間は辛い目に合わないと成長しないものだが、自国の食料を守るという大きな使命を背負っていることを痛感させられた」。


天変地異、人為的な自然破壊がもたらした地球温暖化、人間同士の戦い…

この先、世の中がどうなっていくのか考えると不安になります。

大きな不安に押しつぶされそうになっても、空腹の時はやってきます。

人の空腹を満たし、幸せな気持ちを届けてくれる農業の恵に感謝しなくてはいけないと痛切に思うようになりました。

次回はボスの人となり…をお伝えしたいと思います。

文:佐藤加世子

福岡県出身。小学校1年生から札幌市に移住。
7年間のOL生活
1983年 結婚。夫とヨーロッパ7ヶ月、7万kmのツーリング旅。
翌年からオンボロ・キャンパーで20年間、写真家の夫と共にヨーロッパを拠点に
モーターサイクル世界選手権を取材。ライターとして雑誌に投稿。
2人の男の子を出産、後半の6年間は子連れ取材に大奮闘。
1999年12月 長沼町に離農した農家の古家に引っ越し。
2005年 6月 エッセイ「まんま、夢追い人」発行。
2013年 3月  おだしの美味香を夫と二人で起業。